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普段なにげに会話をしていても、語尾を曖昧にすることはあると思います。
その曖昧さは日本語と英語の違いでもあります。英語は、動詞が最初にやってくるため、意味がはっきりします。
「I(私は)go(行く)to shopping(買い物へ).」
しかし、日本語は「私は買い物へ行く」というように「行く」という動詞が最後にきます。
最後まで聞かないと、言葉の意味をつかむことができない言語なのです。
「行きません」「行きたい」「行きたくない」「行くかもしれない」「行ったことがある」いずれも、意味はまったく異なります。
最後の最後まで聞かないと意味をつかめない日本語は、取扱注意の言葉です。
少し気を緩め、語尾を曖昧にすれば、あやふやな言葉へと変わります。
自信がなかったり、相手の様子をうかがう場合、特に語尾を曖昧にすることが良いと思いがちです。
語尾を曖昧にする人は、ただでさえ曖昧になりつつある日本語を、さらに曖昧にしています。
「買い物へ行こうかな、みたいな」「買い物へ行っちゃったりなんかして」「行ってみたい気もするような……」「買い物へ行くっていうか……」
あなたにもこんな言葉を聴いた事はありませんか。
聴いてみて、なんておかしな表現だろうかと思いませんか。
語尾を濁して、相手の様子をうかがっているようですが、聴いている側は「どっち?はっきりしてよ」と思います。
今一度、自分の言葉を振り返り、曖昧にしている表現を言い切る表現に変えるのです。
言い切る表現は、たしかに責任を伴います。
しかし、それは、言葉を発する人の当然のマナーなのです。
私は文章を書くときには、いつも「言い切る表現」を強く意識しています。
自分にとっても書きやすくなるだけでなく、読んでいるあなたにとっても、意味がダイレクトに伝わっていくからです。
もし、曖昧な表現を使ってしまえばどうでしょう。
とたんに、あやふやな言い方になります。
「言い切る癖をつけたほうがいいかもしれない」「言い切る癖のほうがいいみたいな」
主張したいことがぼやけてしまい、読む方にとても失礼です。
なんだか自信のない表現に聞こえませんか。
自信がない言葉は、本当に信じていいのか不安になります。
言いたいことは、はっきりさせることです。
それが話す人のマナーであり、聞く人への配慮です。
アドバイザー山本